テケリクの戦い(テケリクのたたかい、英語: Battle of Tekelik)は、1301年にアルタイ山を越えてモンゴル高原に攻め入ったカイドゥ・ウルス軍をカイシャン率いる大元ウルス軍が撃退した戦い。カイドゥ・ウルスと大元ウルスとの間で行われた戦いの中では最大規模の会戦であり、カイドゥ・ウルス軍を指揮するカイドゥ・ドゥア両大将自らが深手を負うほどの激戦となった。戦闘は終始カイドゥ側が優勢ではあったが、結局カイドゥ軍は大元ウルス軍を突き崩せず、カイドゥの負傷・発病を切っ掛けとして撤退を余儀なくされた。 国を挙げての大侵攻に失敗し、この戦の負傷によってカイドゥという優秀な指導者を失ったカイドゥ・ウルスはこの後数年で解体し、逆に大元ウルスは最大の脅威を打倒して自らの政権基盤を確かなものとした。 そのため、この大会戦は両国の命運を決定づけた戦いであると評される。 戦場名は『元史』などの漢文史料では迭怯里古(diéqièlǐgǔ)・帖堅古(tièjiāngǔ)・鉄堅古(tiějiāngǔ)山、『集史』などのペルシア語史料ではتکلکو(tekelikū)と記される。正確には一連の戦闘はテケリクのみならずモンゴル高原西部一帯の各地で繰り広げられたが、本稿では一括して扱う。