恒藤 規隆(つねとう のりたか、安政4年1月17日(1857年2月11日) - 1938年(昭和13年)12月6日)は、大分県中津市出身の農学者、実業家、探検家である。人生の大部分をリン鉱石の資源探査に費やしたと言われ、ラサ島で有望なリン鉱床を発見し、ラサ工業を設立したことで知られている。また日本最初の農学博士の一人であり、日本での土壌学の創始者とされている。 法哲学者の恒藤恭は婿養子。物理学者の恒藤敏彦と法哲学者の恒藤武二は孫。