袁 術(えん じゅつ/すい拼音: Yuán Shù、永寿元年(155年)- 建安4年6月(199年7月)は、中国後漢末期の武将・政治家。字は公路。豫州汝南郡汝陽県(現在の河南省周口市商水県)の人。父は袁逢(司空)。同母兄は(太僕)。従兄(または異母兄とも)は袁紹。叔父は袁隗(太傅)。 当初は官界にあったが、董卓による動乱の中で群雄の1人として名乗りを上げ、反董卓連合の崩壊後は孫堅らの支持を受けて一族の袁紹と抗争を繰り広げた。一時は曹操に敗れ揚州に追いやられたが、孫策らの力により揚州を実効支配し勢力圏を再構築。皇帝を称し、国号を「仲」としたが、孫策らの離反や曹操の攻撃により数年で瓦解し、失意の内に没した。 袁氏は帝舜の血族である陳の宣公時代の大夫の轅濤塗の末裔と伝わる。