西蔵地方(せいぞう-ちほう)は、中華民国でかつて名目的に存在していた省級の行政区画。だが、実際にはチベットが実効支配しており、中華民国の支配は及ばなかった。 チベット政府ガンデンポタンは、1911年-1912年の辛亥革命によってダイチン・グルン(大清国)が滅亡して以来、モンゴルとともに、中国とは別個の独立国家を主張し、国際承認をもとめる外交活動を行っていた。中華民国は、チベットの全域を中国領と主張し、実効支配を確立していたアムド地方とカム地方の北部を甘粛省と青海特別地区(1928年より青海省)に、カム地方の東部を川辺特別地区と雲南省に組み込み、ガンデンポタンが実行していたウー・ツァン地方、ガリ地方、カム地方の西部のうち、ウー・ツァン地方とガリ地方をまとめて西蔵地方と称した。カム地方西部については、中華民国の実効支配下にはなかったが、川辺特別地区(1939年より西康省)に帰属すると主張し、西蔵地方には含めなかった。