国鉄ホキ6000形貨車
国鉄ホキ6000形貨車 | |
---|---|
基本情報 | |
車種 | ホッパ車 |
運用者 |
日本国有鉄道 日本貨物鉄道(JR貨物) |
所有者 | 日本ゼオン、第一物産→三井物産、呉羽化成→呉羽化学工業、日本合成化学工業、三菱化成工業、昭和電工、信越化学工業、錦商事 |
旧形式名 | ホキ250形 |
改造年 | 1963年(昭和38年)* |
改造数 | 98両 |
消滅 | 1987年(昭和62年) |
常備駅 | 能町駅、和賀仙人駅他 |
主要諸元 | |
車体色 | 黒 |
専用種別 | カーバイド |
化成品分類番号 | 侵(禁水)44 |
軌間 | 1,067 mm |
全長 | 10,500 mm |
全幅 | 2,700 mm |
全高 | 3,633 mm |
ホッパ材質 | 普通鋼(一般構造用圧延鋼材) |
荷重 | 30 t |
実容積 | 30.0 m3 - 33.0 m3 |
自重 | 17.0 t - 21.1 t |
換算両数 積車 | 5.0 |
換算両数 空車 | 2.0 |
台車 | TR41C→TR41D |
車輪径 | 860 mm |
軸距 | 1,650 mm |
台車中心間距離 | 6,400 mm |
最高速度 | 75 km/h |
備考 | *称号規程変更年 |
国鉄ホキ6000形貨車(こくてつホキ6000がたかしゃ)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)に在籍したホッパ車である。
本形式より改造され別形式となったホキ6100形についても、本項目で解説する。
ホキ6000形
[編集]ホキ6000形は、カーバイド輸送用30 t 積の私有貨車である。
1956年(昭和31年)10月19日から1962年(昭和37年)4月14日にかけて川崎車輛、汽車製造、三菱重工業、富士重工業、日立製作所でホキ250形98両(ホキ250 - ホキ347)が製作された。内3両(ホキ333 - ホキ335)はタサ4000形3両(タサ4000 - タサ4002)からの改造車である。ホキ250形は、1963年(昭和38年)7月26日の称号規程変更によりホキ6000形に改められ全車改番された。
所有者は日本ゼオン、第一物産(その後三井物産へ社名変更)、呉羽化成(その後呉羽化学工業へ社名変更)、日本合成化学工業、三菱化成工業、昭和電工、信越化学工業、錦商事の8社であり、夫々の主な常備駅は能町駅、和賀仙人駅、勿来駅、西大垣駅、黒崎駅、鹿瀬駅、黒井駅であった。
1962年(昭和37年)10月13日に、日本ゼオン所有車2両(ホキ273 - ホキ274)が東北開発へ名義変更され常備駅は笹木野駅へ移動した。更にこの2両(ホキ6023 - ホキ6024)は1969年(昭和44年)11月1日に、福島製鋼へ名義変更された。
1966年(昭和41年)12月14日から1968年(昭和43年)4月11日にかけて、三菱化成工業所有車14両(ホキ6029、ホキ6031 - ホキ6035、ホキ6038、ホキ6051 - ホキ6053、ホキ6094 - ホキ6097)が呉羽化学工業へ名義変更された。
1967年(昭和42年)6月8日に、三菱化成工業所有車7両(ホキ6043、ホキ6064、ホキ6073、ホキ6079、ホキ6091 - ホキ6093)が電気化学工業へ名義変更され常備駅は八木原駅へ移動した。この7両は、後にホキ6100形へ改造される(後述)。
1975年(昭和50年)7月28日に、三井物産所有車4両(ホキ6040 - ホキ6042、ホキ6045)が電気化学工業へ名義変更され常備駅は八木原駅へ移動した。
1979年(昭和54年)10月より化成品分類番号「侵(禁水)44」(侵食性の物質、水と反応する物質、可燃性固体、禁水指定のもの)が標記された。
箱型有蓋ホッパ車である内部は4室又は6室構造になっており、夫々の積込口、取出口を備えていた。荷役方式はホッパ上部積込口よりの上入れ、側面の取出口からの横出し式であった。
車体塗色は黒で、全長は10,500 mm、全幅は2,700 mm、全高は3,633 mm、台車中心間距離は6,400 mm、実容積は30.0 m3 - 33.0 m3、換算両数は積車5.0、空車2.0である。台車は、ベッテンドルフ式のTR41Cであったが後に改造されTR41Dとなった。
1987年(昭和62年)5月に最後まで在籍したホキ6063が廃車になり形式消滅した。
年度別製造数
[編集]各年度による製造会社(*改造会社)と両数、所有者は次のとおりである。(所有者は落成時の社名)
- 昭和31年度 - 5両
- 川崎車輌 2両 日本ゼオン(ホキ250 - ホキ251→ホキ6000 - ホキ6001)
- 汽車製造 2両 日本ゼオン(ホキ252 - ホキ253→ホキ6002 - ホキ6003)
- 三菱重工業 1両 日本ゼオン(ホキ254→ホキ6004)
- 昭和32年度 - 21両
- 三菱重工業 2両 日本ゼオン(ホキ255 - ホキ256→ホキ6005 - ホキ6006)
- 富士重工業 2両 第一物産(ホキ257 - ホキ258→ホキ6007 - ホキ6008)
- 汽車製造 3両 日本ゼオン(ホキ259 - ホキ261→ホキ6009 - ホキ6011)
- 川崎車輌 2両 日本ゼオン(ホキ262 - ホキ263→ホキ6012 - ホキ6013)
- 富士重工業 4両 呉羽化成(ホキ264 - ホキ267→ホキ6014 - ホキ6017)
- 川崎車輌 2両 日本ゼオン(ホキ268 - ホキ269→ホキ6018 - ホキ6019)
- 汽車製造 6両 日本ゼオン(ホキ270 - ホキ275→ホキ6020 - ホキ6025)
- 昭和33年度 - 13両
- 富士重工業 2両 日本合成化学工業(ホキ276→ホキ6026)
- 富士重工業 2両 第一物産(ホキ277 - ホキ278→ホキ6027 - ホキ6028)
- 三菱重工業 9両 三菱化成工業(ホキ279 - ホキ287→ホキ6029 - ホキ6037)
- 昭和34年度 - 32両
- 三菱重工業 2両 三菱化成工業(ホキ288 - ホキ289→ホキ6038 - ホキ6039)
- 富士重工業 3両 三井物産(ホキ290 - ホキ292→ホキ6040 - ホキ6042)
- 三菱重工業 2両 三菱化成工業(ホキ293 - ホキ294→ホキ6043 - ホキ6044)
- 富士重工業 2両 三井物産(ホキ295 - ホキ296→ホキ6045 - ホキ6046)
- 富士重工業 3両 呉羽化成(ホキ297 - ホキ299→ホキ6047 - ホキ6049)
- 三菱重工業 4両 三菱化成工業(ホキ300 - ホキ303→ホキ6050 - ホキ6053)
- 日立製作所 2両 昭和電工(ホキ304 - ホキ305→ホキ6054 - ホキ6055)
- 富士重工業 2両 信越化学工業(ホキ306 - ホキ307→ホキ6056 - ホキ6057)
- 富士重工業 2両 錦商事(ホキ308 - ホキ309→ホキ6058 - ホキ6059)
- 汽車製造 3両 日本ゼオン(ホキ310 - ホキ312→ホキ6060 - ホキ6062)
- 三菱重工業 2両 三菱化成工業(ホキ313 - ホキ314→ホキ6063 - ホキ6064)
- 富士重工業 3両 日本ゼオン(ホキ315 - ホキ317→ホキ6065 - ホキ6067)
- 富士重工業 2両 三井物産(ホキ318 - ホキ319→ホキ6068 - ホキ6069)
- 昭和35年度 - 13両
- 川崎車輌 3両 日本ゼオン(ホキ320 - ホキ322→ホキ6070 - ホキ6072)
- 三菱重工業 1両 三菱化成工業(ホキ323→ホキ6073)
- 富士重工業 5両 呉羽化成(ホキ324 - ホキ328→ホキ6074 - ホキ6078)
- 三菱重工業 1両 三菱化成工業(ホキ329→ホキ6079)
- 富士重工業 3両 三井物産(ホキ330 - ホキ332→ホキ6080 - ホキ6082)
- 昭和36年度 - 12両
- 三菱重工業* 2両 日本ゼオン(タサ4001,タサ4002→ホキ333 - ホキ334→ホキ6083 - ホキ6084)
- 日立製作所* 1両 日本ゼオン(タサ4000→ホキ335→ホキ6085)
- 日立製作所 2両 昭和電工(ホキ336 - ホキ338→ホキ6086 - ホキ6088)
- 富士重工業 5両 呉羽化成(ホキ339 - ホキ340→ホキ6089 - ホキ6090)
- 三菱重工業 2両 三菱化成工業(ホキ341 - ホキ342→ホキ6091 - ホキ6092)
- 昭和37年度 - 5両
- 三菱重工業 5両 三菱化成工業(ホキ343 - ホキ347→ホキ6093 - ホキ6097)
ホキ6100形
[編集]ホキ6100形は、セメント輸送用30 t積の私有貨車である。
1971年(昭和46年)7月21日に、日立製作所にてホキ6000形7両(ホキ6092, ホキ6093, ホキ6043, ホキ6064, ホキ6091, ホキ6073, ホキ6079)の専用種別が変更され、カーバイド専用からセメント専用となった。形式名は新形式であるホキ6100形(ホキ6100 - ホキ6106)とされた。
改造内容は、側扉、吸湿缶の撤去、エアスライド、底部取出し口の新設である。この改造により自重が 17.7 t となり、換算両数は積車4.5、空車1.8になった。
所有者は、種車のまま電気化学工業であり八木原駅を常備駅とした。その後常備駅は、北陸本線の青海駅に変更されたが、所有者は、生涯変わることはなかった。
1979年(昭和54年)10月23日に後閑駅にて発生した青海発、高崎操車場行き上り貨物列車の脱線事故にて本形式の内1両(ホキ6100)が廃車となった。除籍日は、1980年(昭和55年)2月28日である。
セメントターミナルのタキ1900に置き換われて1984年(昭和59年)1月31日に残り全車(6両、ホキ6101 - ホキ6106)が廃車になり形式消滅した。
参考文献
[編集]- 鉄道公報
- 『日本の貨車-技術発達史-』(貨車技術発達史編纂委員会編著、社団法人 日本鉄道車輌工業会刊、2008年)
- 吉岡心平『RM LIBRARY 140 有蓋ホッパ車のすべて(上)』(ネコ・パブリッシング、2011年)ISBN 978-4-7770-5306-3
- 吉岡心平『RM LIBRARY 141 有蓋ホッパ車のすべて(下)』(ネコ・パブリッシング、2011年)ISBN 978-4-7770-5307-0