国鉄セキ3000形貨車
国鉄セキ3000形貨車 | |
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セキ3000形、ロセキ4849 1988年8月16日、岩見沢駅 | |
基本情報 | |
車種 | 石炭車 |
運用者 |
日本国有鉄道 日本貨物鉄道(JR貨物) |
所有者 |
日本国有鉄道 日本貨物鉄道(JR貨物) |
製造所 | 汽車製造、新三菱重工業、日立製作所他 |
製造年 | 1951年(昭和26年) - 1965年(昭和40年) |
製造数 | 2,730両 |
消滅 | 1993年(平成5年) |
主要諸元 | |
車体色 | 黒+黄1号の帯 |
専用種別 | 石炭 |
化成品分類番号 | なし |
軌間 | 1,067 mm |
全長 | 8,750 mm |
全幅 | 2,720 mm |
全高 | 3,365 mm |
ホッパ材質 | 普通鋼(一般構造用圧延鋼材) |
荷重 | 30 t |
実容積 | 36.3 m3 |
自重 | 15.0 t |
換算両数 積車 | 4.5 |
換算両数 空車 | 1.6 |
台車 | TR41A、TR41C |
車輪径 | 860 mm |
軸距 | 1,650 mm |
台車中心間距離 | 4,900 mm |
最高速度 | 65 km/h → 55* km/h |
備考 | *積車時、空車時は65km/h |
国鉄セキ3000形貨車(こくてつセキ3000がたかしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1951年(昭和26年)から製作した、30t積の石炭車(貨車)である。
本形式から改造された貨車であるセキ6000形、ホキ650形、ホキ1900形(2代)、ホキ2100形についても記述する。
概要
[編集]車体は全鋼製。荷役方式は側開き式。台車はセキ3000 - セキ3599はTR41A、セキ3600以降はTR41Cである。最高速度は空車時は65 km/h、積車時は55 km/h。1951年(昭和26年)から1965年(昭和40年)にかけて2,730両(セキ3000 - セキ5729)が汽車製造、新三菱重工業、日立製作所などで製作された。
1968年(昭和43年)10月1日国鉄ダイヤ改正以降は速度制限運用車に指定され、側面に最高速度65 km/h以下を示す黄色の帯が入った他、北海道地区で運用される車両は黄色の字で、「道外禁止」の文字が入れられた。記号番号標記は特殊標記符号「ロ」(最高速度65 km/h以下の貨車)を前置し「ロセキ」と標記する。
改造
[編集]セキ6000形への改造
[編集]セキ3000形は、積車時には最高速度が55 km/hに制限される欠点があった。これを解消するために、積車時でも最高速度65 km/hで運用可能にしたのがセキ6000形である。
改造に際しては、台車の枕ばねを柔らかいものに交換した程度である。これにより、台車形式はTR41Bとなる。1968年(昭和43年)に岡山鉄道管理局所属の65両から開始され、その後は広島鉄道管理局や九州地区の運用車にも及び、北海道でも根室本線において石炭車の脱線事故が多発したことを受けて改造され[1]、1970年(昭和45年)までに1,509両(セキ6000 - セキ7508)が改造された。
1968年(昭和43年)10月1日国鉄ダイヤ改正以降は速度制限運用車に指定され、側面に最高速度65 km/h以下を示す黄色の帯が入った他、北海道地区で運用される車両は黄色の字で、「道外禁止」の文字が入れられた。記号番号標記は特殊標記符号「ロ」(最高速度65 km/h以下の貨車)を前置し「ロセキ」と標記する。
ホキ650形への改造
[編集]生石灰を輸送するために改造した25 t積のホッパ車である。1971年(昭和46年)に9両(ホキ650 - ホキ658)がセキ3000形から改造された。
改造に際してはホキ2800形と共通運用を行うため、車体高さを切り詰めて重心を下げたうえで台車をコイルばね式のTR41Dに改造することで最高速度を75 km/hに引き上げ、ホキ2800形に準じた屋根や積込口を追加した。
1979年(昭和54年)10月より化成品分類番号「94」(有害性物質、禁水指定のもの)が標記された。
美濃赤坂駅に常備され、ホキ2800形と共に西濃鉄道昼飯線昼飯駅 - 新湊線新湊駅あるいは信越本線妙高高原駅などへ運用されていたが、1985年(昭和60年)に形式消滅した。
ホキ1900形(2代)への改造
[編集]青函トンネル建設用セメント専用30 t(後に20 t)積ホッパ車で1972年(昭和47年)に3両(ロホキ1900 - ロホキ1902)が改造された。ホキ1900形(初代)[2]とは別の車両である。
速度制限運用車に指定され、側面に最高速度65 km/h以下を示す黄色の帯が入った他、「道外禁止」の文字が入れられた。記号番号標記は特殊標記符号「ロ」(最高速度65 km/h以下の貨車)を前置し「ロセキ」と標記する。
改造に際しては車体を撤去し、台枠の上にタンク体を載せ、台車をコイルばね式のTR41Dに改造した。ホッパ車に分類されているが、形態としてはタンク車に近い。上磯駅に常備されたが、使用実績は低く、1982年(昭和57年)に形式消滅した。
ホキ2100形への改造
[編集]釜石地区において石灰石と鉄鉱石を輸送するために改造した35 t積のホッパ車である。1963年(昭和38年)から1969年(昭和44年)にかけて41両(ホキ2100 - ホキ2140)が改造された。
改造に際しては荷重増に対応するため、ブレーキを手動切り替えの積空ブレーキに変更したが、運用区間である釜石線は片勾配によるブレーキシューの磨耗が激しかったこともあり、1969年(昭和44年)にブレーキ装置を大幅に改良するとともに制輪子をレジンシュー変更した。台車もブレーキ梁を強化したため、台車形式はTR41C-2となる。
1968年(昭和43年)10月1日国鉄ダイヤ改正以降は速度制限運用車に指定され、側面に最高速度65 km/h以下を示す黄色の帯が入った。記号番号標記は特殊標記符号「ロ」(最高速度65 km/h以下の貨車)を前置し「ロセキ」と標記する。
釜石駅に常備され、上有住駅及び陸中大橋駅との間で運用されていたが、1980年(昭和55年)から廃車が始まり、1985年(昭和60年)に形式消滅した。
ブレーキハンドル移設
[編集]北海道地区と九州地区で運用される車両は、架線電圧20 kVの交流電化区間があり、感電事故防止のため、妻板上部にあるブレーキハンドルを妻面に移設した。
運用の変遷
[編集]本形式は北海道の他に、中国・九州地区などでも使用された。また、国鉄では運用の効率上、1950年代までは鉱石輸送用ホッパ車の私有を認めなかったため、特定の荷主・区間では石炭車の使用を認めた。このため、本形式は汎用ホッパ車の代用としても使われ、積荷も石炭だけでなく、石灰石、鉄鉱石、硫化鉄鉱、甜菜などの輸送にも使われた。
国鉄分割民営化に際しては、日本貨物鉄道(JR貨物)にセキ3000形81両、セキ6000形536両が継承されたが、円高に伴う輸入炭の価格下落による石炭産業の衰退で北海道からは撤退し、セキ3000形が1993年(平成5年)までに廃車され、形式消滅した。最後まで運用されていた美祢線美祢駅 - 宇部線宇部港駅間の石灰石輸送もトラック輸送に切り替えられ、セキ6000形も1998年(平成10年)までに全廃された。
譲渡
[編集]1979年(昭和54年)3月12日 6両(ロセキ3309、ロセキ3660、ロセキ3866、ロセキ4101、ロセキ5062、ロセキ5206)が 太平洋石炭販売輸送に譲渡されセキ3001 - セキ3006となった。
1980年(昭和55年)11月28日 5両(ロセキ3108、ロセキ3129、ロセキ3240、ロセキ3478、ロセキ4662)が 太平洋石炭販売輸送に譲渡されセキ3007 - セキ3011となった。
保存車
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- ネコ・パブリッシング 『レイルマガジン』
- 吉岡心平 「国鉄貨車教室 第11回」 - 2002年3月号 No.219 p.96 - 97
- 吉岡心平 「国鉄貨車教室 第21回」 - 2002年10月号 No.229 p.80
- 吉岡心平 「国鉄貨車教室 第53回」 - 2005年9月号 No.264 p.129 - 131
- 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』
- 澤内一晃 「国鉄ホッパ車の史的展開」 - 1995年6月号 No606
- 吉岡心平『RM LIBRARY 151 無蓋ホッパ車のすべて(上)』(ネコ・パブリッシング、2012年)ISBN 978-4-7770-5322-3