慕容 沖(ぼよう ちゅう)は、五胡十六国時代の西燕の初代皇帝。なお、皇帝を名乗っていないが西燕の実質的な創建者は慕容泓である。前燕の初代皇帝慕容儁の子で、第3代慕容暐の弟。 383年の前秦の淝水の戦いでの大敗の後、慕容泓の独立政権を部下に擁立されて継ぎ、長安の周辺を支配した。386年、鮮卑の故地へ帰りたがった部下に従わなかったため殺された。その後西燕は、皇帝が次々に擁立されては殺され、最終的に慕容永の下で鮮卑の故地へ東進する。