慕容 垂(ぼよう すい、拼音: Mùróng Chuí)は、五胡十六国時代の後燕の創建者。 当初は前燕の皇族で、桓温を撃退するなど活躍したが、奸臣の慕容評等に命を狙われて前秦に亡命した。前秦が淝水の戦いで大敗すると自立して前燕の復興として後燕を建国した。末年に太子の慕容宝が参合陂の戦いで大敗すると自ら反撃したが退軍中、病を患って死去した。