翟魏(てきぎ/たくぎ、388年 - 392年)は、五胡十六国時代に丁零(テュルク系遊牧民族)の翟遼が黄河南岸の滑台に建てた政権である。領土が小さく、期間も短かったため通常「五胡十六国」の十六国には数えられない。 丁零の勢力は後燕・西燕・東晋等の国に従っていたが、388年に後燕の慕容垂との関係修復に失敗すると翟遼が独立して魏天王を名乗った。392年、翟遼の子の翟釗の代に後燕に滅ぼされた。