名鉄サ50形電車
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名鉄サ50形電車 | |
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基本情報 | |
製造所 | 名古屋鉄道新川工場 |
製造年 | 1942年(昭和17年) |
製造数 | 8両 |
主要諸元 | |
軌間 | 1,067 mm(狭軌) |
車両定員 | 60人(座席10人) |
自重 | 9.25 t |
全長 | 8,210 mm |
全幅 | 2,640 mm |
全高 | 3,544 mm |
車体 | 木造 |
台車 | ブリル21-E |
制動装置 | 手ブレーキ |
備考 | 1944年の諸元表より[1] |
名鉄サ50形電車(めいてつサ50がたでんしゃ)は、かつて名古屋鉄道に在籍していた電車(付随車)である。
太平洋戦争の激化による資材不足の中で輸送力強化に対応するため、デワ1形電動貨車を廃車にしてその単台車、台枠、手ブレーキを転用して客車を製造することになった[2][3]。車体は自社新川工場で木造シングルルーフ車体を新造しており、全長 8.2 m、側面窓配置は D 7 D である[4]。
1942年(昭和17年)2月23日にまずデワ1 - デワ6の機器を基にサ51 - サ56の6両が製造された[5]。各務原線に投入され、モ200形を動力車としたM-T-T-M(M:動力車、モ200形。T:付随車、サ50形)という編成を組んだ[6]。その後、同年5月19日にデワ7・デワ8の機器からサ57・サ58(新旧対照不明)が製造されると[5]、全車両が築港線に移された(転属後の各務原線にはモ1040形を充当)[6]。サ52、サ54、サ55、サ57は戦災により大破し、復旧されることなく1947年(昭和22年)9月に廃車。残る4両は引き続き築港線で運用され、1957年(昭和32年)10月に廃車となった[4]。
脚注
[編集]- ^ 清水・田中 2019, p. 164.
- ^ 名鉄資料館 2007, p. 163.
- ^ 清水・田中 2019, p. 16.
- ^ a b 加藤・渡辺 2015, p. 161.
- ^ a b 澤内 2006, p. 17.
- ^ a b 白井 2006, p. 16.
参考文献
[編集]- 白井昭「名鉄初代デワ1形の図面を発見」『RAIL FAN』第650号、鉄道友の会、2006年12月、15 - 16頁。
- 澤内一晃「名鉄デワ1形車歴表」『RAIL FAN』第650号、鉄道友の会、2006年12月、17頁。
- 名鉄資料館「知られざる名鉄電車史1 郊外線草創期の車両 - デシ500形とその仲間たち」『鉄道ピクトリアル』第791号、電気車研究会、2007年7月、156 - 165頁。
- 加藤久爾夫・渡辺肇「私鉄車両めぐり 名古屋鉄道」『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション』第30号、電気車研究会、2015年1月、122 - 165頁。
- 清水武、田中義人『名古屋鉄道車両史 上巻』アルファベータブックス、2019年。ISBN 978-4865988475。